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■会社員時代編・第1章 ・・・ プロローグ

「ダセェ」
自分自身が、である。
仕事をしていて唐突に口から出た言葉。
会社の同僚が振り向く。
お構いなしに再度つぶやく。
「ダセェ」

多忙な毎日である。
終電帰宅なんて特に珍しくもなく、首都圏で会社勤めをする人間にとっては極当たり前のルーティンだ。
某電気メーカーにて、いわゆる先端技術の開発とやらに従事していた。
次世代なんとかと形容される輩をせっせと開発する。
複数のパソコンとにらめっこしながらキーボードを叩く無機質な音だけが響く毎日に、充実しているかと問われれば残念ながらノーであった。
やり甲斐を感じない訳ではないが、格好良く言えば方向性が違うといったところか。
夢中になれるものが見つからず、惰性で仕事をこなしている自分に対して吐きだした「ダセェ」という言葉が己の現状を如実に物語っていた。

自分のやりたい事が見つかるまでの居場所として会社に就職した。
バブル終焉時に入社し下降曲線を描く経済状況の中、仕事量は多くその対価は少ないという時代であったがそれに対して大きな不満はなかった。
不純な動機を胸に秘めながら会社に居座っている自分としては、勉強させてくれる上に給料まで支給してくれる会社に文句のあろうはずはない。

不純な動機とは・・・入社当時からの願望である独立開業(起業)である。
仕事中も起業に関する思考が頭の中を駆けめぐる毎日。
当初、自分の中では「起業=Uターン」という公式はかならずしも成立していなかったと記憶している。
中途半端な時間を過ごしてはいたが、長い間勤めていればプライベートにも変化は訪れ、結婚し子供も生まれた。
自分なりの幸せな家庭を築いた訳ではあるが、女房子供がいる身となっては会社を退職し起業するという願望を叶えることは以前にも増して難しいものとなった。
ただ起業への意欲は枯れることなく、会社のパソコンを使って「起業」や「独立開業」というキーワードでググッていたくらいだ(ググル:検索エンジンのGoogleを利用することの俗称)。
今考えると、とんでもない話である。

漠然と起業につてい考えても埒があかないので実際に事業計画書を書いたりもした。
・やり甲斐を感じ没頭できる仕事。
・実現性の高い仕事。
・メシが食える仕事。
を考慮した上で何通りかのプランを練ってみた。
しかし、会社で身につけたスキルといえばパソコンが人並み程度に扱えるくらいで、起業に役立つスキルなど全くといってよいほど持ち合わせていないことに気付く。
例えば販売業を営むとすると店舗や問屋さんの確保、何より多額の資金を調達する必要がある。
首都圏でそれを実現するとなるとうん千万円は必要であろう。
現実味のない話である。

では現実味のある目標を掲げるため、前述の項目を漠然とではあるが順につぶしていった。
まず、やり甲斐を感じ没頭できる仕事。
これが明確にならなければ何も始まらない訳であるが、自分としては販売も兼ねるが物を作り出す仕事(製造販売業)に魅力を感じていた。
有形、無形問わず、自分の手によって生み出したモノを世に問うという幼稚な願望があった。
また、それらの商品・サービスは地方から発信することに意味があり、やり甲斐もあると一人息巻いていた。
今思えばこのとき初めてUターンを思い立ったのかもしれない。

次に、実現性の高い仕事。
要は上記の希望を加味して、今ある資金や自分のスキルと相談するという悲しい作業である。
この現実直視の作業により、選択肢は容赦なく削られる。
会社で身につけたスキルは同業種の開業以外では殆ど役に立たないことを悟り、人並み程度のパソコン知識にすがることくらいしか起業への指針となりえなかった。(しかも自分の無力さは、時を経るに従い更に痛感することになる)

そして最後、メシが食える仕事。
最大の課題である。
起業を阻む極めて困難な課題である。
妻子ある身としてはやってみなければ判らないという訳にはいかないのだが・・・やってみなければ判らない訳で・・・現在も直面している一生逃れることのできない大きな大きな課題である。