■会社員時代編・第2章 ・・・ 葛藤
起業への欲求は日に日に高まり甘美な妄想が膨らむ反面、安定した収入を得て生計を立てるという点を考えれば、某電気メーカー勤務という肩書きに対する未練を断ち切ることができない。
また、都会暮らしに慣れた家族にとって田舎の暮らしに順応できるかという不安もある。
自身、田舎の平凡な毎日に嫌気がさし首都圏の会社へ就職した経緯もある。
10年以上同じ土地に住めば気心の知れた友人もでき別れるのも辛い。
これらが頭をよぎると「起業なんて考えず今の暮らしで十分幸せじゃないか」と、自分を納得させてみたりもするが同時に起業への願望が頭をもたげてくる。
このような自問自答の日々を送っていた。
とにかく悩んでいてもしょうがないので起業について勉強しようと、会社の近くにある大きな書店で昼休みともなると毎日のように起業(独立開業)に関する本を立ち読みしていた。
会社の人間に見つかれば笑い話にもならないのだが、それこそ立ち読みだけでも何冊読み漁ったことだろう。
書店にはご迷惑をお掛けしたが、何冊かは購入したのでお許し願いたい。
また、女房にはよく相談に乗ってもらった。
結婚前から起業したいことを話していたので最初に相談した時もさして驚くことは無かったが、女性の方が現実を見る目は男性のそれより遙かにシビアである。
これでもかというくらい夫婦間での質疑応答を繰り返した記憶がある。
最初のうちは女房の質問に対して答えにつまることもしばしばであったが、自分のやりたいことの明確化や起業に関する勉強(机上論ではあるが)により徐々に至らない部分を修正することができたのは、女房がするどい質問をしてくれたお陰だと感謝している。
余談だがヘンクウな私は横浜在住の11年間を山口弁で過ごした。
横浜弁(標準語)の語尾につく「でさあ」や「だよね」に意味もなく拒否反応を起こし、どうしても受け付けなかった為である。(若干は横浜弁の影響を受けたとは思うが)
生粋の田舎者なのだろう。
ちなみに女房も山口県の出身だが、順応性の高い彼女は横浜で暮らすようになり一月もしないうちに横浜弁に変わっていた。
女房との相談の結果、起業するなら広島か山口での開業となるだろうと話していた頃である。
起業ともなると生活全般に影響(えてして悪影響)を及ぼす訳だが、では起業することにメリットはないのかと考察してみた。
例えば子育てについて。
幼稚園から受験のある都会で育てるべきか、自然豊かな田舎の中で育てるべきか。
私も女房も同じ山口県出身ということから子育てに関しては田舎こそ理想の地であると考えており、自然に触れ豊かな感受性を養って欲しいという願望があった。
また人の親ともなれば田舎に残した両親を心配する気持ちも芽生えるもので山口県(もしくは広島県)へ帰ることに家族としての異論はない。
ただし起業して生活ができるのであればという前提である。
様々なアクションは起こしつつも決断には至らない日々が続いたのだった。
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